外国人技能実習生ニュース

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県内のミャンマー人技能実習生、失踪急増 難民申請か

2015/08/18 岐阜新聞

 

◆昨年以降22人…

 県内の事業所で働くミャンマー技能実習生の失踪が相次いでいる。県警によると、行方不明者数は2013年は0人だったが、昨年は9人、今年は6月までの半年で13人と急増。実習生の受け入れ企業は、実習生が失踪後も日本にとどまり、難民を申請し、別の好待遇の企業に就労したのではないかとの見方を強めている。難民申請期間中は、指定実習先以外で働くことを認める制度を利用した可能性があるという。

  羽島市の受け入れ団体は昨年7月以降、ミャンマーから女性約50人を受け入れ、同市や岐阜市の縫製会社にあっせんした。ところが3カ月経過すると、1人、2人と姿を消し、これまでに約15人が失踪した。関市の受け入れ団体も昨年7人を受け入れたが、全員が姿を消した。

 難民認定制度は2010年に改正され、在留資格を持つ外国人が難民申請し6カ月たてば、結果が出るまで就労可能となった。失踪した実習生も技能実習在留資格の期限が切れる前に申請すれば、6カ月後から実習先以外で働ける。再申請を繰り返すことも可能で、働き続けることができる。研修・技能実習在留資格を持つ外国人の難民申請数は全国で、2012年の49人から昨年は418人にまで増えた。

◆好待遇の別企業で就労?

 本巣市の縫製会社から今年5月末~6月上旬、3人が働き始めて3カ月で逃げ出した。3人の失踪後の行方を知るという男性は「今後の選択肢は、帰国か難民申請だ」と打ち明ける。難民を装い、別の企業で働くことを目的とした“偽装難民”ではないかとの指摘に対し、男性は「ミャンマーの政情はまだ不安定。帰国すれば迫害の恐れがあると本人たちなりに認識している。偽装難民という決めつけはできない」と主張する。

 ミャンマー人実習生が失踪し、難民申請する事態は日本国内で以前から問題化していた。ミャンマー政府は09年、04年から08年までに384人を送り出したが158人が失踪し、うち多くが難民申請したとの実態を明らかにし懸念を表明。10年に送り出し企業の認定をいったん取り消した。実習生の来日は13年5月に再開されたばかりだ。

 ミャンマーは旧軍事政権による弾圧があり、日本がこの30年間に認定した難民は国籍別で見ると最も多い。昨年の申請は13年比54人増の434人で、ネパール、トルコ、スリランカに次いで4番目。

 法務省入国管理局の担当者は「ミャンマー人実習生の難民申請は増えている」と認め、「全てがそうではないが、多くは就労目的の申請かなという推測が働く」と示唆する。法務省は6月に公表した入国管理基本計画改正案で、明らかに難民に当たらないとみた申請は、本格調査に入る前に振り分け、手続きを迅速に処理する方針を打ち出している。

◆「ごめん」手紙残し消えた5人

 ミャンマー技能実習生の失踪が、県内で相次いでいる問題。労働集約型の産業で深刻な人手不足に悩む縫製業とアイロンプレス業では、外国人技能実習生は欠かすことのできない労働力となっている。実習先企業は突然、働き手を失い、経営に大きな痛手となっている。

 既製服関係の会社が加盟する県内の受け入れ団体は昨年1月、ミャンマーから女性7人を初めて受け入れた。それまでは中国から受け入れてきたが、日本と中国の賃金の差が縮まってきた影響で、若くて優秀な人材が中国から集まりにくくなった。ミャンマーは中国やベトナムに比べて人件費が低く、外資の繊維産業が進出し、カンボジアインドネシアに比べてミシンを扱える人が多い。2年前に加盟企業が資金を寄せ、ミャンマーの都市ヤンゴンに来日前の実習生向けの日本語教室を新設するなど、受け入れ体制を備えてきた。

 この団体からあっせんを受けた企業で、実習生が失踪したのは、来日から間もない昨年のゴールデンウイーク。2社から計5人が一斉に姿を消した。寮の机の上には「迷惑かけてごめんなさい。どうしようもなかった」と日本語で書かれた手紙が残されていた。

◆県内企業、苦悩

 失踪後の足取りを調べると、5人のうち数人は東京都北区赤羽のアパートに転居していたことが判明。フェイスブックには観光に訪れたのか、鎌倉の大仏や東京スカイツリーの前で楽しそうにほほ笑む写真が投稿されていた。

 実習先企業で女性たちが受け取っていた給与は月10万円ほど。男性社長(75)は「残業が少なくて稼ぎにならなかったのか、最初から失踪するつもりだったのか。真面目に働いていたのに…」と裏切られたような思いを口にした。

 実習生に失踪され、社長の会社は受注した仕事の一部を断った。一度断ると、再び受注を増やすのは難しく、経営には深刻な打撃だ。

 7人のうち残り2人も来日から1年で逃亡。日本語教室まで準備して臨んだミャンマー事業は結局、最初の7人でやめた。

 姿を消した7人のうち、1人の女性(34)は来日後の研修で、本紙の取材にこう答えていた。「服に関わる仕事が好きで日本に来た。将来、祖国で洋服の店を出したい」。彼女たちが失踪した理由は今も分からないままだ。